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Whispering A Prayer

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6月24日 白ワイン

 先日、ちょっとした用事で甲府盆地まで行ってきました。山のある風景の写真に撮るための遠出でして、車を使って 移動してきました。
 実のところ、車を使っての遠出ってのは、免許取っ手から初のことでして、割かし新鮮な気持ちで臨めました。 そんな新鮮な気持ちで臨んだ運転の先にあったのは、これまた新鮮な景色。山に囲まれた場所を見るために甲府は勝沼まで 来たのですが、実際に普段見ないような山紫水明の景色を見てしまうと、なんというかある種の驚きさえ覚えました。 別にこの手の景色を見た経験が無いわけでもないのですが、それでも勝沼の景色はある種の衝撃を私に与えてくれました。 お陰で、目的とは関係無さそうな山にまで車を走らせて、勝沼の景色を一望することになったり。やっぱり、その景色もまた、 私を満足させるものでありました。

 先日のこの経験をして思ったのが、やっぱりこういう風景にせよ、何らかの体験にせよ、何らかの感動を得るためには、 自分の足で見つけなければならないのだな、と思わされました。山に囲まれた風景を見るのは初めてじゃない、とはさっき言いましたけど、 その時と何が違っていたのかと考えてみると、最大の違いは自分の足でその場所に立ったかどうかなんだと思います。この「自分の足で」 という言葉は、言葉通りの意味だけじゃなく、自分の意思でその場所に行くと決めたか、だとかそんな意味合いも入ってます。
 もちろん、勝沼の景色が、その時の風景よりも綺麗だった、という要素も考えられると思いますが、やっぱり人ってのは心の持ち様で どうにでもなると思うので、重要なのは能動的であったかどうか、なのではないかな、と思います。
 この考え方って、別に旅行などに限った話じゃなくて、何かものを買うときにも応用できるものなんじゃないかなって、思います。 自分で町を歩いて発掘したCDなんかは、それだけでプラス方向に補正されたりするものです。反対に、他人に薦められたCDなんて、 その人が信用できる人だったり、尊敬している人だったりしないと、あんまり興味沸かないものだと思います。

 ある意味でシンプルな人間の思考が、こういう考えのベースになってるんだと思うんですが、それを単純だと切って捨てるよりは、 そんな単純な人間的思考を、思う存分使ってあげたりすると、いいんじゃないでしょうか。だから、何かを得ようと思うなら能動的に。 そうすれば、良いものが更に良いものに自分の中で変わっていって、何だか得した気分になるんだと思います。

6月13日 Wカップ

 こう書くとちょっとエッチ臭いですね。

 せっかくのワールドカップ、みなさん日記のネタにしてるのかな、って思ってたんですが、ほとんどみんなしてないですね。 せっかくだから、アナーキズムの精神でサッカーネタで日記書く事にします。

 今のところ地上波でやっていた試合はほとんど見てるんですが、現時点で一番面白かった試合はといえば、やっぱり メキシコVSイランですね。一番美しくサッカーしてたのはチェコVSアメリカでのチェコなんですけど、観ている人の胸を熱く させてくれたのは前者なんじゃないかなぁ、なんて思います。
 この手のゲームの面白さって、ブラウン管越しに熱意が伝わってくるかどうかなんじゃないかな、って思ってます。もちろん、 他のナショナルチームに熱意が無いなんて思ってないですが、他人を圧倒させるくらいの気迫となると、中々出てこない。 メキシコVSイラン戦には、それがあったわけです。両方とも好チームだと思います。初戦落としたチームが決勝トーナメントに 進む可能性なんてほとんど無いと思うけれど、イランにも頑張って欲しいなぁ、なんて思ってます。
 少しだけ、チャンピオンリーグ決勝のアーセナルの姿を思い出しました。開始早々キーパーが退場して10人になったにも関わらず、 決して諦めずに虎視眈々とカウンターを狙う彼らはとても素晴らしかったです。先制点をもぎ取った時なんて、両手振り上げて歓喜しました からね。結局バルセロナの猛攻に屈してしまったけど、彼らが素晴らしいチームだったのには変わりなかったのです。

 熱意ってものは、たとえそれが受け手の錯覚だったとしても、伝わるものなんだと私は思います。それはサッカーに限らず、 スポーツに限らず、エンターテインメントに関してもそうなんだと思います。めったに人の作品読まない私が、何かの二次創作を 読むとき、良し悪しの判断基準としてまずは文章を見るんですが、その次に見るのは作品に対する熱意だったりします。
 その熱意は原作に対してだったり、自分の作品に対してだったり、書き手によって様々あるのですが、それがあるのとないのでは、 大きな違いがあるのだと思います。 作ったものに対して、そこに愛はあるのか? 改めて問いただしてみる、というのも大事なのだと思います。

 ……と、ここまで書いて、日記を半年以上放置していた人間の言う台詞じゃないと気付きました。ま、まあ、いつか私も 読み手に思いの伝わる日記を書けるようになりたいと、そんな風に思いましたとさ。ありがとう! メキシコ、イラン!!(強引過ぎ)

6月7日 新年おめでとうございます

 遅すぎますね。

 と、このネタは去年もやったわけですが、あけましてを新年に変えたり、去年は3月だったのを今年は倍の六月にしたりと、マンネリズム 回避のための努力はしてます。我ながら素晴らしくうそ臭いですね。
 日記再会するぜ! と息巻いたのはいいんですが、冒頭ので書くネタが尽きちゃいました。 ネタのご利用は計画的にしないと駄目ですね。

 という訳で何かネタが欲しいと思う今日この頃。結構ピンチな状況です どれくらいピンチなのかといいますと、ネタ探しのために昔のゲームやってたら、いつの間にか三時間が過ぎてしまうくらいにピンチです。 日記に三時間以上かけるなんて、昔ですらやらなかったのに。

 とまあ、こうやってネタが無いことをネタに文章を書くってのも、使い古された手法なわけでして、今更通用するものでもないんですが、 こうやって使ってしまう私ってなんなんでしょうね。
 更に言うと、こうやって自分にツッコミ入れるやり方もまた使い古されたものでして、そんなネタにすら頼らなければいけない今の私の ネタの貧困さはどういうことなんでしょうね。

 以下、延々と続きます。