三年になってしばらく経った四月の中旬。下駄箱で靴を履き替え、昇降口を出て上を見ると、空が曇っているのが わかった。そして、ぽつぽつと雨が降ったと思ったら、いつのまにか大粒の水滴が目の前を覆った。
「なんだ? 今日は晴れだって言ってたのに」
 愚痴りながら周りを見ると、みんな天気予報を裏切った空をにらんでいた。それから、ある人は傘を用意していた友達に 入れてもらえるようお願いしたり、またある人は走って学校を出て行った。
 当然用意していない俺は、走るか頭を下げるかするしかないのだが、頭を下げる相手がいない。そうなるともう選択肢は 一つしかない。俺は家まで一気に走るために、出入り口で屈伸をしていた。すると、ふいに後ろから声をかけられた。

「相沢さん、何をしているんですか?」




相合い傘



「いやぁ、天野が傘を持っていてくれて助かった」
「それはどういたしまして。でもあんなところでいきなり準備運動を始めないでください。声かけるの少し恥ずかしかったんですから」
「何を言う。走る前の準備運動は欠かせないだろ。怪我でもしたらどうするんだ」
「くだらない事を言わないで下さい」

 そういって口を尖らせ、こっちを睨む天野。 彼女とはたまに会って――といってもこうやって相合い傘をするのは初めてだが――話したりする。 あの出来事の後、天野は随分と明るくなったと思う。最初のころは会話をしても、表情にさして変化は見られなかったし、 どことなく近寄りがたい雰囲気を持っていた。いまはそれが無くなったまでとは言わないが、だいぶ薄れつつある。何より 会話の中で、つられて笑ったり、意地悪したりするとほんの少し拗ねた顔をしたりする。そういった表情の変化を見るのは楽しいし、 その変化に自分が貢献しているのなら、これほど嬉しいことはない(単なる自意識過剰かもしれないが)。 そういった天野との時間は、俺の中で貴重なものとなっていた。

 ふと右隣を見ると天野が上を向いている。つられて俺もまた視線を上に移す。さっきよりも黒ずんできた空が見えた。

「雨、まだまだ強くなりそうですね」
「ああ……」

 答えて、傘の位置を確認する。綺麗に俺と天野の真ん中に位置取った傘は、俺の左肩と天野の右肩を雨から守る事が 出来ずにいた。それに気づいた俺は、少しだけ傘を右に傾ける。
 それに気づいたのか。「相沢さん、左肩がだいぶ濡れています」そう言って、傘を左に傾ける。

「おい、それじゃ天野が濡れるだろ」
「でも、あのままだったら相沢さんが風邪をひいてしまいます」
「これはもともとお前の傘なんだからお前が濡れることはないだろ」
「それはそうですが……」

 眉間に皺をよせそのまま押し黙る。そうしている内に俺は傘を右にずらす。

 雨は一向にやむ気配はなく、道路の至る所に水溜りを作った。傘を右に傾けたせいか、首筋に時折雨粒があたりひんやりとする。 冷たさを忘れたころになってくるとまた一粒。その内に首筋だけでなく全身が冷えてきた感じがして、俺はすこし体を震わせる。 そんな事をしている間にも雨粒は、ぽつり、ぽつり、と首筋に当たる。

 その寒さに気を取られていたから、そっと右腕にそっと暖かいものが触れたとき、ほんの少しだけびっくりした。

「……なんですか?」

 横を見ると、俺の右腕にそっと左腕を絡ませる天野がいた。

「こうすれば、二人とも濡れないから……」

 決まりが悪そうに天野が言う。そんな風に言う天野が可愛くて、俺はちょっとからかってみた。

「天野、もっと寄らないと濡れてしまうぞ。こう、頭を肩に乗せるとかしてだな、距離を縮めないと」
「ここから家まで走りますか?」
「ごめんなさい」
「まったく……でも、まあせっかくだから」

 何がせっかくなのか分からないが、そう言って俺の肩に頭を乗せる。

「……やっぱり、恥ずかしいですね」
「恥ずかしいなら、最初に声掛けなければ良かったのに」
「それは……。まあ、そういうことです」
「なんだそりゃ。意味が分からんぞ」
「分からないなら、それでいいですよ」

 天野がくすりと笑う。あまりにも自然なその動作は、俺の顔を少し熱くさせた。
 腕から感じる温もりと火照った顔は、雨の日の風でも冷めることはなかった。