10月1日
『恋ごころ』プレイ終了〜。さて、感想を書くわけですが、このゲーム、大変面白かったです。
シナリオはかなり長かったのですが、あまりに自分の好みに合っていたので、三日でクリアしてしまいました。おそらく過去最高の早さでの クリアです。
というか、このゲームは私の中で思い描いている『理想的なシナリオ』に本、ゲームを問わずもっとも近かったのです。
無論、それがある程度予測出来ていたからこんな昔のゲームを今更ながら買ったわけなのですが。それでも、 私がこれから書こうと思っていた話と80%ほど近いシナリオが二つほど有ったというのは驚きです。
仮にこれらのシナリオが私の理想の100%を満たしていたならば、私は書くことをやめていたのでしょうね。
ただしこのゲーム、面白くはあるのですが若干消化不良気味ではありました。
いや、それでも十分な完成度を誇ってはいるのですが、時間が足りなかったのか、それともお金が足りなかったのか、若干削ったようにも 見えます。それでも十分に長いのですけど。
そんな事どうでもよくなっていくくらいのお気に入りになった『恋ごころ』な訳ですが、好きなキャラはリリカです。
冷静で冷たいように見えて、内には熱い志が。
気がとても強いように見えるけど、その実繊細で暖かな母性を秘めている。
最高じゃないスか。これだったら私は、ラブラブした話だろうが、ほのぼの系だろうが、失恋話だろうが、狂いまくったダーク物だろうが 書けるような気がします。
というわけで、『恋ごころ』はお勧めです。
10月2日
以前、この日記がヘタレていると書きましたが、まあどうヘタレてるのかは置いといて、 改めてロリコンってなんじゃらほい、と考えてみた。一つ思いついたのは、普通の子供好きは少年少女の成長を望んでいるのだろうが、ロリコンはそんな事望んでいない、という考え。
しかし、これだけで分けるのは浅はかと言えるでしょう。幼女しか出ていないゲームを好んでいる人の中には、 話の中で子供が成長するのが面白いと言っている人もいる。無論そんな事を全く思っていない人もいるのですが。
確かなのは、冒頭の考えで後者しか当てはまらない人は、決して子供など持つべきでは無いという事。
10月3日
若干サイトに疑問を感じていたり。日記をトップに置いている以上、これがメインコンテンツでなければならないのですが、読み返してみると大して面白くない。 あとから読み返して、ギリギリ許せる程度の話は有るのですが、日記一つ一つのクオリティが安定していないため、 全体から見ると埋もれている。
このままじゃいけないので、打開案を考えてみます。
・日記をトップから排除する。
これをやれば、とりあえず中途半端な状況からは脱却出来る気がします。しかし、二次創作目当てで来る人の方がおそらく多いので 読まれなくなる可能性が高くなります。それでは私が面白くない。
・memo等のコンテンツを置き、近況とかはそちらに、自分なりにしっかり書いた文章はトップに置く。
理想的ではあるけれど、おそらく更新頻度が低くなるでしょう。でも、これが一番妥当な気がします。
・このまま
楽です。
おそらくこの中の三つから選ぶことになるでしょう。
現在のヤル気を考えると三つ目の可能性が高いですが、こうやって日記としてアップすれば「なんかやらないとなぁ」と思うかもしれません 。また適当な。
10月6日
ついに、ついに我がサイトにもlinkのコンテンツが出来ました。なんで今まで無かったのかというと、単なる私の引きこもりの性格が原因です。
例えばリンク先のサイトがアクセス解析でウチを発見して「おいおい、こんなヘボいSSしか書いてねえサイトがウチにリンクしているのかよ。 困るんだよなぁ、こんなゴミサイトに称えられてもむしろ俺のサイトの評判が下がるだけじゃねえか」とか、思ってしまうのです。
もちろん、それは単なる被害妄想に過ぎないのですが、それでも実際にそう思われていたらどうしようとか、引きこもりの私は考えてしまうの です。
まあ、作った以上はがんがん貼ります。今のところ11のサイトにリンクしていますが追加しまくります。 私は界隈とかその辺りにはかなり疎いので、相当に無差別なリンクになると思います。 まあ、気にしない方向で。
10月9日
いやー、危なかった。いやね、コンペ用の話を大学のPCで書いていたんですが、昨日フロッピーに入れたまま取り出すのを忘れてしまってました。
そんな訳で今日ダッシュで大学に来てコンピューター実習室に行って回収しましたです。運良くフロッピーは回収できましたが、 これがもし誰かに見付かったらどうなったんですかね。
まあ、誰かに発見されてそのままフロッピーをパクられるんだったら、まだいいのですが、問題は親切にも落し物コーナーに持ってかれた 時です。
ウチの大学でフロッピーの落し物があると、ガラスケースの中に入れられるのです。 それだけじゃ誰のか全く分からないから、中にあったファイル名とその内容が端折って説明された紙が貼り付けられます。
過去に小説が入っていたフロッピーが落し物コーナーに置いてあった事は私が見る限り無いです、当たり前だ。
ですが、仮に落し物として貼り出されたら、おそらく端折るのが難しいので中の文章の一部が紙に書かれることになるでしょう。
ガラスケースの中に鎮座するフロッピー。好奇の目で見られるソレ。
そして、受付のお姉さんに「それ……俺のです」と、うつむき加減で言う私。
お姉さんはフロッピー(と紙に書いてある文言)と私の顔を交互に見つめ、そして微妙に引きつった顔でフロッピーを私に手渡すのでしょう。
ああ、回収できて良かった。
10月12日
事情により、掲示板を閉鎖。まあ、需要はほとんど無かったし、フォームメールと感想掲示板があれば事足りると思うのでよろしいかと。
もちろん今までの書き込みはきっちり保存してます。たまに読み返してうっとりする事にします。うっとり。
10月3日に書いた事の結論。現状のままで。
ただ、もう少し意識して日記を書く。というか、これが一番なんだよなぁ、なんで気付かなかったんだろ。
というわけで、レベル3となったソナタが管理するポートレイト、今後とも宜しくお願いします。
10月19日
意識的に日記を書こうと思ったら、逆に怖気づいて日記が書けなくなってしまいました(アホ)。まあ、その他にも実生活の方で色々とあったので、と言い訳を言ってみる。
それと、こんぺの中編部門があと一ヶ月無いところまで迫ってきたので、そちらの方に力入れているってのもありました。
私の執筆ペースを考えればこの時点で文章が書き終わってなくて、推敲が始まってないってのは絶望的であります。ヤヴァイです。
そんな訳なので、更新ペースは今後更に隔たる可能性が高いです。申し訳ない。
とりあえずレベル2ソナタに戻る事にします。
99になったら閉鎖します(一生ならない)。
10月22日
芸術的な程の適当っぷりを誇っていたaboutがついに更新されました。やった。こんぺ頑張るって言ってた矢先にサイト更新してます。自分でも訳分かりません。まあ、私なので仕方ないです。
さて、webの孤島こと、我がポートレイトですが、気が付いたら開設して半年経ってます。
しかも丁度半年経った時の日記が、掲示板閉鎖の報告ですって!? ぎゃあ。
というか半年経って5000ヒットいってないってのは、かのんSS-Linksに登録してないサイトの中では 私くらいじゃないですか?
まあ、この更新頻度を考えれば当然といえば当然なんでしょうが。
こんぺの作品が片付いたら何か企画とかやったみた方がいいのでしょうかねぇ。しかし、現在のサイトの規模を考えると 企画やっても人が集まらない、盛り上がらない、それで終わりそうです。というか終わる。
とりあえず、キリ番制度はあった方が閲覧者としてはいいのでしょうか、その辺りフォームで送って貰えると嬉しいです。
なんかただの駄弁りみたいな日記だなぁ。
10月26日
ようやく、こんぺ用SSの第一稿が完成しました。ふう、疲れた。まあ、日曜を完全に引きこもって頑張った甲斐があるってもんです。いや、結果発表まで分からんか。
で、その事に関する愚痴を延々語っちゃおうかなと考えていたんですが、規定では中編ですよー程度の事しか言えないと気付く、うぬぅ。
誰の話なのか、容量がどのくらいなのかも言えません。しょうがない。
で、後は推敲を残すのみなのですが、書いた直後に推敲しても効果がないと思いますので、しばらくほっときます。
その間はサイトの更新を頑張りたいと思います。とりあえず、疲れたのでコレで今日は終わりです。
10月27日
言葉という物は、扱うのがとても難しいもの。感情をそのまま伝えようとしても、言葉にする際にふるいに掛けられてしまい、全てを伝える事は出来ない。
なおたちの悪い事に、そのふるいは必要な言葉だけを残すのではなく、時に本当に伝えたい事すらふるい落とし、 ふるいにこびり付いた余計な物を付け足してしまう。
そういった言葉が届けられると、悲劇が起こる場合がある。
大切な人への手紙にそぐわない言葉があれば、受けてはひどく傷付き、ほんの些細な言葉の解釈の違いが喧嘩の原因になったりもする。
それは本当に悲しい事。
だから、言葉を扱う人間として、もっと真摯に言葉に向かい合いたいと思うのです。
嘘偽りの無い気持ちを、誤解される事も、意味を歪曲される事も無く、正確に伝えるように努力していきたい。
それは、こうやって言葉を扱うサイトを運営している私の一つの義務だと思います。
なんて、言ってみたりはするけれど。
嘘偽りの無いこの気持ちが、誤解される事も、意味を歪曲される事も無く、正確に伝わっている保障などどこにも無い わけで。
10月29日
自分がされて不愉快な行動は人にはするな、とは良く聞く言葉。じゃあ、自分がされて嬉しい行動を他人にもすべきか、というと決してそういう訳ではない気がします。
それは単純な話、人によって価値観が違うから。
「自分はこうされて嬉しかったのだから、あの人もされたら嬉しいに違いない。だからやってあげよう」
そういった考えは自分の頭の中での妄想に過ぎず、単なる自己満足に陥ってしまう可能性があります。 そういった場合、人にいい事したぞと満足は出来るけれど、相手は何かを押し付けられた感が拭えなく なり、度が過ぎると仕舞いにはうざったく感じてしまう。
些細な行き違いなんてものは、大抵は良かれと思ってした行動が原因となって始まるのです。
人の為に何かをする、というのはとても難しい。
時に、「人の為に何かをしよう」という考えそのものが、自己満足な考えではないか、そんな思考の渦に捕らわれてしまうから余計に。
と、自分の人付き合いの下手さ加減を、こうやって言い訳してみたり。