8月12日 やっぱり、夏休み中は日記書けないなぁ
私の二十歳の誕生日から、一ヶ月が過ぎようとしています。もう一ヶ月なのか、まだ一ヶ月なのか、その辺の自覚は曖昧です。おそらく、それは成人したという気持ちが曖昧な ままだからだと思われるのです。契機となる日が曖昧なら、そこを見つめて振り返ろうっても、近いのか遠いのかは分かる訳もありませんね。
軽い調子で言ったものの、これは由々しき問題です。社会的には一応、大人の仲間入りを果たしたのですから、しっかりとそれについて 考えないと、精神的に大人になりません。そんな訳で、今日は大人である事を自覚しようと思います。
先日、兄がドラクエ5のリメイクを買ったのをお伝えしたと思います。私は、結局遊んでなくて、兄がプレイしているのを眺めている だけなのですが、そこであるシーンに出くわしました。そう、幼馴染との再会のイベントです。これを見て、私は頭の中である言葉を 呟きました。
(萌えが、足りねぇな……)
と。
そうです、幼馴染との再会です。それなのに、ちょっと素っ気無いな、と感じてしまったのです。 十余年ぶりの再会で缶コーヒー一杯も無いんですよ? 雪も降ってないし。
そこで、私は考えました。如何にしたらこの再会のシーンで萌えられるのかを。そして私は、ある設定に気付いたのです。 この村には温泉があると。
シーンは大体こんな感じです。旅の疲れを癒すために、温泉に入ろうとした主人公。温泉にはビアンカが先に入っていました。 湯けむりで視野が開けないため、主人公は誰も居ないと勘違いして、ズカズカと温泉の中に踏み入ってきます。
直ぐ近くに、幼馴染がいるにも関わらず、互いに気付かない。やがて、風が吹いて湯けむりが吹き飛びます。その後に、 主人公が見たものは、妙齢の美女が温泉に浸かる姿。その女性は目を見開いてこっちを見ています。
すると突然、
「えにくす、えにくす!」
そう口走って、抱きついてきました。妙齢の美女は、幼い頃に一緒に冒険した仲間だったのです。感動の再会。抱き合う二人。 そしてイベントCG(原画:鈴平ひろ)。
ただし、二人は温泉に入っているから裸です。しばらくして、それに気付いたビアンカが顔を一気に真っ赤にして叫びます。
「いやああぁぁあぁあぁぁっ!! 何してんのよぉぉぉ!!」(ベキラゴン)
黒焦げになる主人公。フェードアウト。再会のシーン終了。
……私も、大人になりましたね(オタクになっただけです)。
8月14日 うげぅ
明日のバイトを休みにしてもらうの忘れた。とはいえ、これだけ暑いと外出る気なんて全く起きないんですけど。
暑いの苦手で、寒いの大好きな私は、おそらく行ったら逝ったでしょうね。
8月20日 妄想大将
案の定、夏休み中は更新頻度が激しく低くなりました。それでもちょくちょく書いといた方が良いっぽいので書きます。とはいえ、あまり書くこたぁないんですが。
最近はUnderworldのA Hundred Days Offばかり聴いています。
Underworldっつうと、踊るための音楽って印象を持つ人が多いと思いますが、私はそういうイメージを持って彼らの 曲を聴いてなかったりします。どちらかと言うとパフォーミングする側のイメージで音楽を聴きます。こういう楽しみ方もアリですね。 持っていないけど、Everything,Everythingはそういう作品だったらしいですし。
音楽の聴き方にもいくつか方法があって、だいたい私は四通りの聴きかたを使い分けています。メロディーのみをひたすら追いかける 聴き方、漠然と曲の雰囲気に浸る聴き方、細部のアイデアや音の作りに耳を傾ける聴き方、そして前述の聴き方です。もちろん、 他の聴き方もあるでしょうが(もっと細かく分類すれば、他にも沢山挙げられます)、知らないので書けません。誰か教えて。
これらの聴き方の選択は、だいたい楽曲と状況、体調によります。流石に疲れているときに、三番目の聴き方は出来ませんし、 騒音の多い場所だったら、だいたい一番目になります。
ここで大事なのは、そういった聴き方の使い分けに、自覚的である事です。その意識があると無いとでは、聴こえ方にかなりの違いが 生まれます。イメージしている事を、自覚しながら聴くNUNOはまさしく最高の音楽であり、アイデアにひたすら意識を傾けて聞くVaiは 至高の音楽であると言えます。
この意識は別に音楽だけではなく、他の創作物にも当てはまります。文章における言葉の選択に、目を光らせながら読めば、おのずと そこにある技術や意図が見える。テーマを気にかけながら読めば、作者の声が聞こえてくる。
ここに書いたことは当たり前の事ではあります。だから、これらを改めて念頭に置きながら、色々なものに触れてみると、 今までとは違うものが見えてくるかもしれませんよ。
まあ、疲れた時はダラダラとするのも大事ですけどね。
8月25日 シレンジャー
色々片付いて、久しぶりにシレンやってます。あまりにもかったる過ぎたリーバを乗り越え、その後も色々アレして、やっと白蛇島にたどり着きました。
四回目くらいで上手い具合に装備が整って、二十五階くらい行った時に「コレいけるんじゃね?」とか思ったりしたのですが、イアイと にぎり親方のコンボで瞬殺されました。きええええええーーーーーー!!
8月26日 今思い返すと
本日、少年時代に買っていたミニ四駆類を捨てました。これを買っていた時の心境を思い返すと、オタクがグッズ集めをする心理がなんとなく分かる気がしました。そんな一日。
9月2日 コヨリたん萌え
てなわけで、クリアしました。装備見れば分かりますが、余裕のクリアです。クリア確定したのは、五十階くらいでした。シハンを根絶やししたので、ドドロが 出なくなってからは、遊びながらダンジョン探索していました。アークも二発で殺せますし。
とはいえ、結構難しかったです。間違いなく過去最高の難度を誇るダンジョンになってますね。シレン2の最果ては、 アークねだやしさえすれば、クリア確定みたいなもんだったので、この緊張感はハァハァものでした。 序盤で獣王の盾と身かわしの盾が 出るという奇跡が無かったら、クリアはまず不可能だったでしょう。正直、アイテムに恵まれすぎたので(パコレプキン、白紙、 根性の竹刀)、これだったら誰でもクリア出来る気がしなくもありません。
さて、残るは裏白蛇のみとなりましたが、その前に倉庫の整理をしなければならないのがダルイです。夏休み終了まで二週間あるから、 それまでずっと引き篭もればクリア出来ると思いますが、流石にそれは出来ません。うーん、どうしましょう。
でもまあ、とりあえずシレンジャーとしてはそれなりの腕になったと思ってもいいんでしょうかね? 白蛇挑戦から約一週間、 冒険回数百回未満なら、そこそこのシレンジャーでしょう。多分。
9月6日
「人のせいにできることは、自分のせいにもできる」この言葉は、私が大好きなゲームに出てくる台詞の一つです。うろ覚えではありますが。この台詞の後には、「人のせいばかりにしていると、 いつか誰のせいにもできない事が起きた時に……」みたいな台詞が続いてた気がします。
これだけでも私の中で名台詞なのですが、この言葉にはもう一つの意味が隠れているように思えるんです。
それは、結局の所「誰が悪いのか」というものは曖昧なもので、さして重要な事でもないという事です。大事なのは、 「誰が悪いのか」ではなく「何が悪かったのか」。「誰か」を探した所で、それから先の発展は望めません。「何か」を見つければ、 それを元にこれからの対策や応用が見付けられる。
では、その「何か」を見つけるためにはどうしたらいいか。
そうやって考えていくと、一つの結論に至ります。それは、「何か」を見つける為には、「誰か」を自分に置く方が、簡単だという事。 他人から原因を探し出すよりは、自分の反省点を見つけた方が簡単だし、何よりそこからの対策も自分なので簡単に出来ます。
だから、何かが起きた時には、まずは自分を省みて。そうして考えた方が、次への発展が望めるような、そんな気がします。
……つまり、私が掲示板を閉鎖せざるを得なくなったのは、決してみんなの所為ではないということですよ?
そう、全ては自分が悪いのです。私の人望が、人間性が……。
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10月4日
やばい、全然更新していないじゃないか! つっても、今だって全然更新するネタがないんですけど。まあ、これは全部私の所為です。大学始まってから全くと言っていいほど充実してない、生活してませんから。 音楽とエロゲはかなり充実しちゃってるんですけど。インプットだけ充実してても、アウトプットがおろそかだと、 満たされない所があります。だったらそれをHPでやれよ。
そろそろ強引にでも能動的に動かなきゃならないですね。冷静に自分を見つめても、今の私はあまり美しくないですし。 こんなんじゃ、モテになれるわけがない。
とりあえず、メッセの表示を「ソナタ@('A`)」から別のものにしました。これで前向き前向きっ。